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すしの基本!わかりやすい寿司の起源と歴史


普段何気なく食べている寿司。街に行けば数多くのお寿司屋さんが
軒を連ねていますが、ふとこんなことを考えたことはありませんか?
「世界ではじめて寿司を作った人は誰だろう?」
「最初の寿司はどんなものだったのだろう?」
今回はそんな寿司の歴史について紹介したいと思います。

【 すしの歴史 】
1.寿司の起源 なれずしの誕生
 すしの始まりは、はるか昔。紀元前4世紀頃の東南アジアに遡ります。東南アジア山中の民族が貴重なタンパク質を補うため、麦や豆などの穀物を炊き込んだものの中に塩味をつけた川魚を漬けて発酵させた魚肉保存法が始まりだとされています。つまり、すしは穀物の発酵を利用した魚肉保存法から生まれたのです。

 これは内臓を処理した魚を米飯に漬け、穀物の自然発酵(乳酸発酵)によって魚の保存性を高めた食べ物でした。このすしを「なれずし(熟れずし・慣れずし・馴れずし)」と呼び、数十日から数カ月たったところで魚を取り出し、食べるのは魚だけで米は捨てられていたようです。ちなみに、米は乳酸発酵によってでんぷんや糖質が分解されてドロドロの状態。また、乳酸菌によって酢酸が生成され、ビタミンと酸っぱさが加わった食べ物だったようです。


2.生成ずしへ
 そのあと中国大陸に伝わり、8世紀頃の奈良時代に日本にも伝わります。この頃から日本でもアユやフナを漬け込んだ熟れずしが庶民に食べられるようになります。馴れずしでは米がドロドロに溶けしまっていましたが、米が好きな日本人は魚だけでなくご飯も一緒に食べるようにしようとその形態を変えていきます。

 そして室町時代後期に出てきたのが「生成ずし(なまなれずし・なまなりずし)」です。これは、魚は半生の状態で、米飯もまだ原型をとどめた状態で飯として食べられる内に一緒に食べるというものです。飯ずしもこの頃誕生しました。ここからすしは保存食から料理へと変わっていきます。


3.酢の誕生
 安土桃山時代になると酢が作られました。これによって乳酸発酵による酸っぱさを酢で代用するようになっていきました。この時代から寿司が大きく変わります。箱寿司(押し寿司)もこの頃に誕生しました。素材も川魚から、小鯛やサバなどに変わっていきました。漬け込んだ魚は今まではおかずでしたが、この時代から食事へと変わっていきました。


4.早ずしへ
 江戸時代になると、ご飯そのものをおいしく食べるという日本独特の「早ずし」へと変わっていきました。早ずしとは、じっくり時間をかけて自然発酵させるものではなく、酢飯の上に魚を乗せ、それを笹などにくるんで箱に並べ、重石を乗せて二三日置くというもの。これまでの古寿司と比べれば早いのですが、即席の握り寿司に比べるとまだまだ時間がかかりました。また、この形態は日本各地にその土地の産物と強く結びついたものとして今でも見受けられます。


5.にぎり寿司の誕生
 江戸時代後期頃(1818~1830)、町には屋台を中心とする外食産業が軒を列ねていました。その中で握ってその場で食べるという形態をすし商であった華屋与兵衛が考案し、「にぎり寿司」が生誕生します。「寿司」という当て字もこの頃に誕生したと言われています。

 東京湾で捕れる魚介や海苔を使った寿司を「江戸前寿司」と呼ぶようになり、この頃から日本料理の技術である、酢の物(コハダ)や煮物(イカ・穴子)、焼き物(玉子)、蒸し物(アワビ)、刺身(マグロ・ヒラメ)などをすし飯と一緒に食べさせるということを思いついたと云われます。華屋与兵衛の改良により、その美味しさ、その簡便さが江戸中の評判となっていきます。

 江戸から明治にかけてのすしは屋台が中心で、現在のように店を構えるようになったのは、もっと後のことです。桶にすしダネを入れて、担いで町の中で売り歩く「すし売り」という商売もありました。冷蔵庫の無い時代のことなので、殆どのすしダネは、酢に漬けたり、煮たり、しょう油に漬けたりと手が加えられていました。これが、今も伝わる酢じめをした光りものや煮イカや煮ハマグリ、またはマグロのヅケの原型です。すし屋の調理場がつけ場と云われるのは、このように醤油に漬けたり、酢に漬けたりする仕事が中心だったことの名残です。


6.握りずしが全国へ広がる
1923年の関東大震災により、被災した東京のすし職人達が
故郷に帰ったことで、日本全国に拡がっていきました。


7.戦争により寿司屋が増加
 戦中・戦後の食糧難の時は、すし屋も店を閉めなくてはならなかったのですが、米1合で巻物を含むすし10個と交換することが出来たといわれます。このことから寿司屋を営む者が増えていきます。また、この時のすしが1貫の大きさの基準であり1人前の基準となっています。

 戦後は、屋台で生ものを扱うことが禁止され、店の中に屋台を持ち込み店内で食べさせるようになりました。これは屋台の形式を店の中で再現したとのことです。これによって屋台の形式がカウンターになりました。


8.現在
 1980年代頃から、米国で魚と米で作った寿司は健康に良い食べ物として第一次スシ・ブームが起こります。この頃から Sushi Bar がたくさんでき始め、海外で寿司が浸透していきます。また、日本でも寿司ロボットや回転寿司の登場により寿司は大衆化していきます。

 米国でブームとなった寿司は更に波及し、現在では全世界中に拡がっています。現地の人達に受け入れられるよう様々なフュージョン寿司が誕生し、そのバリエーションは更に増え続けています。80年代から約30年近くは海外でもSUSHIという看板を掲げるだけで、中身は全く別ものと言われるような料理がたくさん見られましたが、現在は海外の人たちの舌が肥えてきたこともあり、本場の寿司の味も求められるようになってきました。それに伴い、日本で修行し技術を得た寿司職人の需要も高まりつつあります。握りずしが誕生してから、わずか200年余。今後、スシはどのように変わっていくのか楽しみですね。


寿司は中国から伝わったものなの?!
 東南アジアから日本に伝わるまでの過程にはいくつかの説があります。『鮨』と『鮓』の漢字は2500年以上も前から中国にありました。中国最初の「すし」についての表記は、紀元前5~3世紀に作られた『爾雅』(じが)に見られる「鮨」という文字です。ここでは鮨のことを「魚のシオカラ」と説明しています。

 その後、1~2世紀に作られた『説文解字』(せつもんかいじ)という辞書に「鮓」という文字が表れていますが、ここでは魚の貯蔵形態のことを指していたようです。これが「なれずし」と呼ばれるすしの源流だといわれています。

 このなれずしが日本に伝わってきたのは弥生時代だと言う説もあるようですが、定かではありません。また、東南アジアから中国に渡り中国から日本に伝わったと言う説と、今中国にはすしに似た食品がないことから、中国からは漢字だけが伝わってきて、食べ物は東南アジアから来たという説もあります。

 現在わかっている文献のなかで日本で最初にすしについて書かれているのは、718年(奈良時代)の『養老律令』という法令です。ここには租税品目としてすしの項目が列記されており、『鮓・鮨』という漢字が使われているようです。ちなみに、これは「魚介の漬け物」といわれています。

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プロフィール

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Author:rino
料理やお酒の知識が足りないことで、いろいろな場面で恥をかいてしまう自分がいる。。。「少しでも知ってたら、恥をかかずに済んだのにっ!」、そんな苦い経験をなくすために、食についていろいろと学んだことを書いていきます。少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。

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